GUIDE

日本の風俗街の歴史と今:吉原、歌舞伎町、すすきの、中洲、雄琴

執筆・監修:Dr.Taro(性感染症内科医)|2026年10月5日

日本の大きな都市には、たいてい「歓楽街」や「風俗街」と呼ばれるエリアがあります。その多くは、江戸時代の遊郭や戦後の赤線といった歴史を背負っています。この記事では、代表的な風俗街の成り立ちと現在の姿を紹介します。街の歴史を知ると、風俗をめぐる法律や社会の変化も見えてきます。なお、個別の店舗の紹介はしません。

歌川広重「名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣」。格子窓の窓辺に白い猫が座り、外には田んぼと富士山が見える
歌川広重「名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣」(1857年)。吉原の座敷の窓から、酉の市へ向かう人々と富士山を眺める構図とされる。出典:Library of Congress/Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

遊郭から風俗街へ:歴史のおさらい

江戸幕府は、売春を特定の区域に集めて管理する「公許の遊郭」を認めていました。明治以降も形を変えて公娼制度が続き、戦後は、警察が地図に赤線で囲んで黙認した「赤線地帯」が生まれます。1956年に売春防止法が制定され、1958年に罰則が全面施行されると赤線は廃止されました。その後、多くの旧赤線や遊郭の跡地は、法律の範囲内で営業する性風俗店の集まる街へと姿を変えていきます。

吉原(東京都台東区)

吉原は1617年、幕府の許可を得て日本橋近くに開かれた遊郭が始まりです(元吉原)。1657年の明暦の大火のあと、浅草の北、日本堤のあたりに移転し、「新吉原」と呼ばれるようになりました。周囲を堀で囲まれ、出入り口は大門ひとつ。江戸の文化や流行の発信地でもあり、浮世絵や歌舞伎、落語の舞台として数多く描かれています。

一方で、遊女の多くは貧しい家から年季奉公の形で売られてきた女性たちで、借金にしばられ、自由に外に出ることもできませんでした。梅毒などの性感染症も蔓延していました。華やかなイメージだけでなく、こうした歴史も知っておきたいところです。

現在は台東区千束のあたりに、ソープランドが集まる街として残っています。土手通りの「見返り柳」など、遊郭の名残をとどめる場所もあります。

歌舞伎町(東京都新宿区)

歌舞伎町の名前は、戦後の復興計画で歌舞伎の劇場を誘致しようとしたことに由来します。劇場の計画は実現しませんでしたが、映画館や飲食店が集まり、日本最大級の歓楽街に成長しました。キャバクラ、ホストクラブ、性風俗店、飲食店が混在しています。

2000年代以降、行政と警察による「浄化作戦」で違法店や客引きの取り締まりが強化され、近年は大型の複合施設も建てられて街の姿は変わりつつあります。それでも、ぼったくりや悪質な客引き、ホストクラブの高額な売掛金をめぐる問題など、トラブルの報道は後を絶ちません。

すすきの(北海道札幌市)

すすきのの歴史は、明治の初め、開拓使が札幌の街づくりの一環として遊郭を設けたことに始まります。開拓に携わる男性が多く集まる中で、遊郭は計画的に配置されました。現在は飲食店、キャバクラ、性風俗店が集まる北日本最大の歓楽街で、ソープランドが営業できる数少ない地域のひとつでもあります。

中洲(福岡県福岡市)

那珂川と博多川に挟まれた中洲は、九州最大の歓楽街です。川沿いに並ぶ屋台は観光名所として知られ、その奥に飲食店やクラブ、性風俗店が集まっています。観光客が多いぶん、客引きをめぐるトラブルには注意が必要です。

雄琴(滋賀県大津市)

琵琶湖のほとりの温泉地・雄琴は、1971年にトルコ風呂(現在のソープランド)が開業したのをきっかけに、全国有数のソープランド街に発展しました。京都や大阪からのアクセスのよさもあって、関西の代表的な風俗街として知られています。古い遊郭の歴史をもたない、比較的新しい風俗街という点が特徴です。

風俗街を歩くときの注意点

性感染症の予防を忘れずに

風俗街の歴史は、性感染症との闘いの歴史でもあります。江戸時代の遊郭では梅毒が広く流行し、現代の日本でも梅毒の報告数は高い水準が続いています。どの業態を利用する場合でも、オーラルセックスを含めてコンドームを使うことが予防の基本です。

利用後に、排尿時の痛み、のどの痛み、性器や口のできもの、体の発疹などが出たら、泌尿器科や性感染症内科を受診してください。症状がなくても、気になる接触があったときは適切なタイミングで検査を受けることをおすすめします。

参考資料

T
Dr.Taro

性感染症内科医。YouTube「性病医 Dr. Taro」で性の健康について発信中。